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2022.01.13

カンボジア02

カンボジアの悲惨な歴史 / 現在のエネルギー

カンボジアには高齢者が少ない

カンボジアを訪れると、高齢者が少なく、若者が多いことに気づきます。2020年の人口は約1670万人で平均年齢は2425歳と言われています。少子高齢化が進む日本とは正反対の人口構成ですが、その理由は、カンボジアが歩んできた悲しい歴史にあります。

 1975年、それまで米国寄りだったロン・ノル政権に代わって、共産主義のクメール・ルージュが指導者ポル・ポトのもとカンボジアを支配。国名も「民主カンプチア」に改名しました。ポル・ポトは、自給自足の生活を理想とする急進的な重農主義あるいは農本主義を唱え、それまでの資本主義社会を支えてきた知識層を排除。1979年に政権が崩壊するまでに、実に国民の約3分の1が虐殺されたと言われています。

 しかし、今は若い社会が形成され、カンボジアは、その若い力でASEANの成長エンジンとして機能しています。

 超高齢社会の日本の風景に慣れている生徒がカンボジアに着くと、市中の人々の若さにすぐ気づくでしょう。過去を乗り越えた、今のカンボジアのダイナミックさに触れつつ、「なぜ?」を考えることができます。

 

 

カボチャの語源から日本とカンボジアの歴史を知る

カボチャの語源がカンボジア

日本では、さまざまな料理に使われているカボチャ。その語源は、実はカンボジアから来ていると言われています。

 16世紀、インドシナ半島に住んでいたポルトガル人がカンボジアからカボチャを豊後国の宗主であるキリシタン大名の大友宗麟に献上しました。そのとき、その野菜を生産国のカンボジアから名付けた、とする説が有力です。

現在、日本の食卓にのぼるカボチャの9割は「西洋カボチャ」です。「日本カボチャ」の品種は少なくなっていますが、伝統野菜「宗麟南瓜」を復活させる取り組みが、宗麟ゆかりの大分県で行われています。

 馴染み深いカボチャの語源がカンボジアとは、多くの生徒にとって未知かもしれません。日本とカンボジアの歴史上のつながりは好奇心を呼び起こす素材です。

 

 

【岡山学芸館高等学校(SGHフィールドワーク)】

本校は、文科省のSGH(スーパーグローバルハイスクール)の指定を契機に、それまでのカンボジア研修を課題研究用のフィールドワークへと内容を変更しました。社会課題を自分の五感で掴むことを目的に、通常の研修旅行では体験できない内容を盛り込んでいます。

 課題研究のカリキュラムでは、これからの地域社会を創造するグローカルリーダーの育成を目標に、社会課題に正面から立ち向かうユース層の育成のために授業を設けています。

 事前学習として、カンボジアの歴史講義、訪問先の事前調査等を実施した後、年に2回現地を訪問。1年生は12月に「自らの力社会課題を明らかにする(フィールドワーク調査)」を目的に渡航します。2年生は8月に渡航し、目標を「社会課題に対するアクシンプランの実現(現地実践活動)」とし、授業で取り組んできた課題研究のソーシャルアクション実践に取り組みます。

 研修期間中には、1日の経験を振り返るミーティングを毎晩実施し、共通のディスカッションテーマに対して1時間~1時間半かけて考えます。生徒の価値観や物事の捉え方が変化する大きなポイントの一つがこのミーティングになっています。

 渡航前、生徒はカンボジアの社会課題を極めて表面的に捉えているようですが、現地2日目あたりから、振り返りミーティングの内容が劇的に変化すると毎回感じています。

 

 

 

 

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