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2024.01.29

WING

第192回「日本が危ない」あらゆる事故の可能性も許すな

 

羽田でJAL機と海保機が衝突
旅客機は全員が奇跡の生還

 

 1月2日に東京・羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突炎上した事故は、日航機の客室乗務員の適切な判断で乗員乗客379人が全員無事救出され、海外のメディアから「奇跡だ」と称賛された。一方で、海上保安庁の5人の隊員が亡くなるという痛ましい結果となった。なぜ事故が起きたのかの解明を進めると共に、二度と起こさないための改善策をいかに構築するか――。
 まず、公表された管制官と日本航空機(JAL516便)、海上保安庁の航空機(MA722、ボンバルディアDHC-8-Q300、登録記号JA722A)との交信記録を振り返ってみよう。
 衝突の4分半前。管制官はJAL機に「34R」、つまりC滑走路への進入を続けるよう指示した。JAL機もそれに応じた。
 「JAL516、滑走路34Rに進入を継続します」
 衝突2分半前。管制官、JAL機ともに着陸に支障がないことを確認した。続けて、管制官は海保機に呼びかけた。
 管制官「JA722A、東京タワー、こんばんは。(離陸順番は)1番目。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
 海保機「滑走路停止位置C5に向かいます。1番目、ありがとう」
 このやりとりを見ても、管制官はJAL機には着陸許可を出し、海保機には滑走路手前にある停止位置まで移動するよう指示していたことがわかる。
 ところが、海保機のただ一人の生存者である機長は「管制官から離陸の許可が出ていた」と話しており、食い違いが生じている。

 

事故原因は聞き違いなのか
震災で飛びっぱなしの海保機

 

 航空評論家の小林宏之はTBS番組で、食い違いが生じた可能性として「(海保側が)何らかの拍子に思い込み、勘違いをしてしまった。それ以外になかなか考えられない」と語った。
 海保機は能登半島地震の発生を受け、1日午後6時ごろ、羽田空港を出発し、被害状況を確認するため現地上空を飛行し、午後9時半ごろ羽田に戻った。さらに同日午後11時ごろ、今度は特殊救難隊を乗せて小松空港(石川県)に向けて出発し、翌2日午前2時半ごろ羽田に戻った。

 

2 日に炎上した JAL 機。乗員乗客全員無事だったことが奇跡といわれた

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