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第221回「日本が危ない」靖国の戦没者慰霊を正しくせよ

保守政党として対応十分か
公式か私的かが重要視
自民党は9日に行われた党大会で採択した今年の運動方針で、「靖国神社参拝を受け継ぎ、国の礎となられたご英霊の御霊に心からの感謝と哀悼の誠を捧げ、不戦の誓いと恒久平和への決意を新たにしたい」と「保守政党」としての立場を鮮明にした。だが、それとは裏腹に首相による靖国神社参拝は2013年12月の安倍晋三以来行われていないのが現状だ。
首相、石破茂は8月15日には地元・鳥取の護国神社を訪れることにしており、靖国神社には参拝しないと明言している。石破は春と秋の例大祭にも参拝していない。
石破はその理由について、「『国家の命により戦地に赴き散華された兵士』と『明らかに勝てない戦争を、そうであると知りながら開始した立場に居た国家指導者』とは明らかに異なる」(自身の「X」)と説明している。
石破は2006年8月号の月刊誌「論座」でも、時の首相、小泉純一郎の靖国神社参拝を批判し、いわゆるA級戦犯が合祀されている限り、首相は参拝すべきではないと主張した。
ただ、首相になると昨年10月の秋季例大祭に合わせ、祭具の真榊(まさかき)を「内閣総理大臣 石破茂」名で、私費で奉納した。前任の岸田文雄が毎年、春秋の例大祭に真榊を、8月15日の終戦記念日には自民党総裁として玉串料をそれぞれ奉納したのを踏襲したとみられる。
石破は昨年9月の自民党総裁選の時は、靖国神社参拝をめぐり「天皇陛下が参拝してくださる。そういうことを実現することが我々の務めだ」と述べていた。もっとも、石破が総裁になっても天皇陛下の御親拝に向けて具体的な行動をとったことはない。
歴代首相をみると吉田茂、岸信介、田中角栄らは靖国神社に当たり前のように参拝していた。転機となったのは1975年の三木武夫の参拝だ。
この頃、靖国神社を国家護持による慰霊施設とする運動が展開され、国営化を目指す靖国神社法案が毎年国会に提出されたものの、いずれも廃案となっていた。74年には衆院では可決され参院に送付されたものの、会期終了により審議未了廃案となった。党内には首相の「公式参拝」を求める声が強まった。
読売新聞政治部記者だった高橋利行は日本記者クラブ会報の戦後70年特集で当時のことを振り返っている。
「自民党内左派の三木が、こういう雰囲気の中で『終戦記念日』に参拝するか、参拝するにしても、どういう資格で参拝するかが関心を呼んだのである」
真夏の靖国神社境内にいた高橋のもとに、日本武道館での全国戦没者慰霊式を終えた三木が靖国神社に向かったという情報が入ってきた。当時は今のように携帯電話もない。高橋らは警察官の無線を聞いて情報をつかんだ。高橋が待っていると、予想通り黒塗りの車が境内に入ってきた。だが、総理大臣専用車ではなかった。それでも、車から降りてきたのは三木本人だった。武道館で自民党総裁車に乗り換えたのだった。三木は玉串料も「ポケットマネー」で払い、記帳も肩書を記さず「三木武夫」とだけ書いた。
「党内情勢を睨んで、ぎりぎりの決断が『私人』としての参拝だったのだろう」と高橋は振り返る。なお、このとき中国や韓国が参拝を問題視することはなかった。それでも、それ以降報道各社は、靖国神社というと「私的参拝」か「公的参拝」かにこだわって報道するようになる。
戦犯14人が78年に合祀
オバマ政権も“失望”
2014年9月に宮内庁が公表した「昭和天皇実録」によると、75年11月21日の昭和天皇の靖国神社参拝について「終戦30周年に当たり、同社より御参拝の希望があり、また65年10月には終戦20周年につき御参拝になった経緯もあったことから、私的参拝という形で行われた」と説明した。
命を賭して平和を守ってきた人たちの思いを無駄にしてはならない